日本が初めて文献の上に现れたのは、我が中国の史书「汉书」で、最初に「倭」という文字で文献に载っていました。「汉书」でよると、东夷の海中の岛に「倭人」が住んでいて、「倭国」または「倭奴国」を作っていました。文献上「日本」という文字が现れたのは、唐王朝の正史「旧唐书」が最初です。この书に次のように记されています。「日本の国とは倭国の别称である。其の国は日の升るところにあったので、倭という国名を日本としたのである。或いは、倭国の人间はその名が恰好よくないのを嫌って、日本と変えたという说もある。」当时の日本は自分の国を「日出る処の国」と考え、中国にやってきた使者も尊大だったそうです。このために、通交した当初、中国は日本という国に対しては半信半疑の受け取り方をしたようです。その後、日本侧の自称もしだいに固まり、纪元670年、正式に日本国と记しました。その以降、「倭」を使わず、「日本」という国名は国际的に定着してきました。