古来、伊势(いせ)は「御食(みけ)つ国(くに)」といわれてきた。御食(みけ)とは天皇の食料供给地、または神への供物(くもつ)を意味する。もともと日本には共同体が神や権力者に食物を献じる习惯があり、この食物を贽(にえ)といった。伊势周辺でも伊势神宫にお供(そな)えする米を作る神田(しんでん)や、果物や野菜の畑が点在(てんざい)する。参宫客(さんぐうきゃく)が身を清めに访れた二见浦(ふたみうら)近くには神宫に奉纳(ほうのう)する塩を作る「御塩殿(みしおでん)」がある。また鸟羽市の国崎(くざき)でも神宫に献上(けんじょう)するアワビが特别な制法で加工されている。このように海山(うみやま)の幸(さち)に恵まれた豊かな风土も、伊势神宫がこの地に镇座した理由のひとつといわれている。
ところが伊势市は伊势志摩国立公园の玄関口(げんかんぐち)である。伊势神宫を访れた観光客もよく足をのばす鸟羽市(とばし)は渔业が盛んで、特に海女による独特の渔で知られる。海女とは素潜(すもぐ)りで渔(りょう)をする女性のこと。鸟羽の猟师町、相差(おうさつ)で民宿を切り盛りする下村広枝(しもむらひろえ)さんもそのひとりだ。「水中にいるのは一分くらい。岩阴にいるアワビやウニを探して拾ってくるの」
水深4.5m、ときには10mちかく潜(もぐ)ることもある。渔期は3月から12月初めにかけて。岸近くの海で渔に勤(いそ)しむ女性たちの姿が见られる。
「疲れないって?大丈夫、中には75歳の海女(あま)もおるよ」
母も祖母も姑(しゅうとめ)も、みんな海女だったという。现在54歳の下村さんもあと20年は潜るつもりだとか。
昔ながらの海女渔(あまりょう)は鸟羽のミキモト真珠岛(しんじゅしま)でも见ることが出来る。観光客向けの実演(じつえん)だが、白い矶着(いそぎ)に身を包んだ女性が身を翻(ひるがえ)して海に潜る姿は情绪(じょうちょ)たっぷりだ。この岛は1893年に実业家、御木本幸吉(みきもとこうきち)が真珠の养殖に成功した场所で、现在は真珠についての展示施设となっている。前述の実演もその一环で、かつては海女も真珠の养殖で活跃していたのだ。今も志摩半岛の南に开(ひら)けた英虞湾(えごわん)では养殖用の筏(いかだ)が连なる风景が见られる。
人々は信仰を集める伊势神宫を恵(めぐ)みの海。近年は伊势と志摩はセットで日本人の観光旅行の定番スポットとなっている。伝统と格式を体现する伊势神宫(いせじんぐう)や、昔ながらの渔村に古い日本の姿が残っているからだろうが、多くの日本人は伊势に心のふるさとを感じるのである。